リレーエッセイVol. 10

「我慢おやじ」に

   

長野県青少年育成県民会議

常任理事  鎌田 雄三  (長野県青少年団体連絡協議会会長) 

                                                        もどる


 私は現在長野県青少年団体連絡協議会に携わっております。それは、青年会議所運動、信州青年の船等に関わるようになってからです。

 恥ずかしい話ですが、25年ほど前に交通事故で大怪我をし、病院生活を八ヶ月間味わいました。それは人生の中で色々な事を考え、色々な事を学べた良い機会でもあったのですが、ある時友人に車椅子で街なかに連れて行ってもらった事がありました。

 そこは障害を持った人にとって、普通に生活できる場所ではありませんでした。ひどい道路事情で、道路のあらゆる所に段差があり、長い階段があり、障害のある人の為としながらカギのかかっているエレベーターがありました。それまで何も考えないでいた事に呆然としてしまいました。そんな時に聞いた話で「すべての人は他の人に迷惑をかけないで生きてはいけない。その迷惑をかける分は社会に還元しなければいけない。」というものがありました。ボランティア活動を含めた社会参加活動の根幹と感じました。それが色々な活動に参加するきっかけになりました。

 しかし25年たった今の街を歩いてみますと、果たして進歩した街づくりとなっているでしょうか。歩道だけ見ても一見段差がなくなり、通行し易くなったと見えるかもしれませんが、車椅子の目で歩いてみると車道から一段上げた歩道は、車の出入りの為の削った部分が大変なうねりとなっています。何を基準の道作りなのでしょう。
 

 さて、今考えている事は、青少年に対する大人の行動です。かなり昔の話ですが、侍の時代には、一番の刑罰に人前で名前を挙げ笑われる事があったそうです。人前で笑われる事は、死にも値することであったのです。

 いま、我々大人達は恥を忘れていないでしょうか。そして、恥をかかないように我慢することを、忘れていないでしょうか。街なかに恥を掻き捨てていないでしょうか。

 マスコミを賑わすハレンチ行為事件、金がすべてであると公言する輩、グルメと称して飽食を美化する風潮。私は子供の頃に親から、人前で金と食い物の話をするのは恥ずかしい事だとよく言われました。

 また、一度便利さを味わってしまうとなかなか手を離せなくなってしまうものがあります。携帯電話は今とても普及し非常に便利になったと感じますし、車や自転車の運転中でも歩行中でも手放さない大勢の人を見かけます。しかし、それを見ている生徒や学生の授業中にまで進出してしまっているのです。その時間大人も子供も本当に必要で使っているのでしょうか。色々な自動販売機はどこにでもあり便利です。でも、それと引き換えの対価はお金だけだったでしょうか。対面販売による非行の抑制、環境への配慮等だったりと、引き換えた物が沢山あります。そして、ポルノ雑誌やいかがわしいビデオ等の販売機が増殖しています。それを無くそうとしている人達の努力は大変なものがあります。

 人間の欲望は限りがないと言われていますが、我々の背中は多くの子供達に見られています。欲望に流されることは恥ずかしいことです。

 そこで提案ですが、子供達に後から笑われないように少し不便さを我慢しませんか。これ以上に他の選択がない事以外は、便利さに甘んじることを我慢して排除する努力をしてみませんか。この頃の流行言葉に「チョイ悪おやじ」というのがあります。今は死語となってしまったのでしょうか「頑固おやじ」というもありました。でも我々は、明日の長野県を担っていく青少年の健全育成に携わっていることを強く意識し、かっこよく我慢するおやじになりませんか。恥ずかしさを知る「我慢おやじ」になりましょう。

 

 

            もどる

                           トップページ / 県民会議って何? / 県民会議ニュース / 賛助会員一覧 / リンク / 御意見・お問い合せ