旧統一教会の本部長に新たに就任した勅使河原秀行さんが話題になっています。
勅使河原秀行さんといえば30年前に「テッシー」という名前で一躍有名になったあの人です。
30年ぶりにメディアに出てきたことでネットでは懐かしむ声や驚きの声が多数上がっていました。
そんな勅使河原秀行さんですが、学歴や現在までの経歴が気になります。
また、勅使河原秀行さんには再婚相手が住谷文子さんで、その前の結婚相手が山﨑浩子さんという噂ですが、本当なのでしょうか。
今回は、
勅使河原秀行さんの学歴や現在までの経歴
勅使河原秀行さんは住谷文子さんと再婚前は山﨑浩子さんと結婚してたのか
についてリサーチしました。
勅使河原秀行の学歴や現在までの経歴は?
勅使河原秀行さんの学歴や現在までの経歴をまとめました。
【学歴】
■京都大学農学部農林経済学科卒業
【現在までの経歴】
■京都大学卒業後、大和証券に入社
■28歳の時、山﨑浩子さんと合同結婚式に参加(のちに破局)
■大和証券退職後、「統一神学校」に留学
■統一教会の傘下にある企業に再就職
■1995年、住谷文子さんと結婚
■2015年、本部人事部部長に就任
■2016年、総合企画局副局長に就任
■2022年、旧統一教会の本部長に就任
大学時代まで
勅使河原秀行さんの学歴を見ていると、かなり優秀な学生だったことがわかりました。
勅使河原秀行さんの出身高校はわかっていません。
ですが、常に成績がトップで、医学部を目指せるぐらいだったようです。
勅使河原秀行さんは京都大学に進学して、統一教会が提唱する「統一原理」を研究する非営利団体「原理研究会(CARP)を通じて統一教会に入信しました。
勅使河原秀行さんが入信したのは大学3年生の頃です。
ですが、勅使河原秀行さんは原理運動にのめり込んでしまいます。
そのため勅使河原秀行さんは4年生になっても卒業はできず、留年してしまいました。
社会人時代から
勅使河原秀行さんは京都大学卒業後、大和証券に入社します。
勅使河原秀行さんの経歴、すごいエリートコースですよね。
勅使河原秀行さんは誠実な人と言われているので、真面目に勤務されていたのではないかと想像できます。
大和証券を退職した後には、統一教会がアメリカ・ニューヨークに開校した「統一神学校UTS」に留学しました。
このように勅使河原秀行さんは統一教会の中でどんどん出世していきました。
勅使河原秀行は住谷文子と再婚前は山﨑浩子と結婚してた?
勅使河原秀行さんは現在は住谷文子さんと結婚していますが、以前に山﨑浩子さんとは結婚しておらず、再婚ではなさそうです。
勅使河原秀行さんに再婚説が出ているのは、上にも書いた「合同結婚式」が原因でしょう。
勅使河原秀行さんは1992年に山﨑浩子さんと合同結婚式に参加しました。
もちろん勅使河原秀行さんは山﨑浩子さんと結婚するつもりでした。
ですが、山﨑浩子さんの母が直前に亡くなっており、1周忌が終わるまでは入籍を控えたいという想いがありました。
それを勅使河原秀行さんは受け入れて、合同結婚式はしましたが入籍はしていなかったのです。
そのため、戸籍上では勅使河原秀行さんと山﨑浩子さんは結婚していないことになります。
合同結婚式後、山﨑浩子さんの姉や親族が、統一教会の洗脳を解こうと説得を始めます。
そして山﨑浩子さんは統一教会を脱会することを決意します。
勅使河原秀行さんにも脱会を勧めますが拒否。
そのため2人は破局してしまいました。
勅使河原秀行さんは未練があったようで「悲劇の人物」とも言われていました。
その合同結婚式の3年後である1995年に勅使河原秀行さんは住谷文子さんと結婚します。
住谷文子さんは統一教会の信者であり、親が統一教会幹部でした。
その繋がりもあって勅使河原秀行さんと住谷文子さんは出会ったようです。
また住谷文子さんは統一教会内の劇団「世界家族芸術団」に所属して、女優として活躍されていました。
顔画像が見つかっていませんが、とても美人と評判が良かったようです。
これらのことから、勅使河原秀行さんと住谷文子さんは再婚ではなく、初めての結婚相手ということになります。
また、山﨑浩子さんとは結婚していなかったことになりますね。
まとめ
勅使河原秀行さんの学歴や経歴、また住谷文子さんと再婚する前は山﨑浩子さんと結婚してたのかについてまとめました。
勅使河原秀行さんの学歴や経歴を見ると、統一教会に関わる前はかなりエリートコースを歩んでいたことがわかりました。
また、勅使河原秀行さんは住谷文子さんと結婚したのは間違いないですが、山﨑浩子さんとは結婚していなかったようです。
30年前の「テッシー」こと勅使河原秀行さんがこのような形でメディアに登場するのは驚きでしたね。