春のセンバツ高校野球や、夏の全国高校野球選手権大会(甲子園)の常連校の一つである智弁和歌山高校。
その智弁和歌山といえば、魔曲とも呼ばれている応援曲「ジョックロック」ですよね。
ですが、最近智弁和歌山以外の学校でも応援曲としてジョックロックを使っているところがチラホラ見られます。
ジョックロックを智弁和歌山以外で使うのはありなのでしょうか。
また、ジョックロックはいつから魔曲と言われるようになったのか、そして原曲が何なのかも気になります。
今回は、
ジョックロックを智弁和歌山以外が使うのはありなのか
ジョックロック(智弁和歌山)はいつから魔曲と言われてるのか
ジョックロック(智弁和歌山)の原曲は何なのか
についてリサーチしました。
ジョックロックを智弁和歌山以外が使うのはあり?
ジョックロックを智弁和歌山以外の学校が応援曲として使うのは特に問題ありません。
冒頭にも書きましたが、最近は春のセンバツ高校野球や夏の甲子園で智弁和歌山以外の学校がジョックロックを演奏しているところがあります。
応援曲としてのジョックロックは智弁和歌山が発祥ですが、智弁和歌山以外の学校が使ってはいけないという規定はありません。
智弁和歌山が公式で楽譜を配っているという噂もあるようです。
正しいタイミングでジョックロック!
樹徳の監督が智辯和歌山出身で楽譜貰ってるんだって(楽譜自体は智辯和歌山が公式に配っているそうな)
— Kota_N (@Kota_N6080) August 6, 2022
ですが、やはり「ジョックロック=智弁和歌山」という印象が強く、智弁和歌山以外の学校が演奏していると違和感を覚える方もいらっしゃいました。
智辯以外がジョックロック使うとモヤッとするよね分かるよ
— ろんろん (@ron_ron0729) August 6, 2022
「ジョックロック」がトレンド入りしていると智弁和歌山が試合をしていると思う人も多いようです。
ジョックロックを智弁和歌山以外の学校が応援曲として使うのは問題ありません。
ですが、ジョックロックといえば智弁和歌山と思っている方が多いようです。
ジョックロック(智弁和歌山)はいつから魔曲と言われてる?
智弁和歌山のジョックロックがいつから魔曲と言われているのか調べたところ、2000年ごろから魔曲と言われ始めたようです。
智弁和歌山のジョックロックは、1998年ごろに応援曲として取り入れられました。
実際に甲子園で演奏されるようになったのは2000年の夏からです。
ちなみにこの頃智弁和歌山では、甲子園に出場するたびに新曲を1曲作っていました。
最近では甲子園に出場することが増えて、毎回新曲を作るのが難しいということで現在は不定期で新曲が取り入れられているようです。
ジョックロックもその一つで、応援曲に取り入れられた当時は、「ここぞ!」という場面で使われていたわけではありませんでした。
智弁和歌山のジョックロックが魔曲として知られるようになったのは、2000年夏の準々決勝・柳川戦と言われています。
2000年夏の柳川戦8回裏、智弁和歌山は2−6で負けている状態で攻撃に入ります。
ここでジョックロックが流れます。
すると、3番武内選手のソロホームランを放ちます。
その後、4番池辺選手のデッドボール、5番後藤選手のヒットで1・2塁に出塁。
そして6番山野選手がスリーランホームランで同点という展開になりました。
甲子園球場は大盛り上がりです。
その後、延長11回で決着がつくのですが、8回からずっと智弁和歌山はジョックロックで応援し続けていたのです。
この応援からジョックロックが魔曲と呼ばれるようになったのではないかと考えます。
ジョックロック(智弁和歌山)の原曲は何?
智弁和歌山のジョックロックの原曲は、ヤマハから出されたデモ楽曲です。
「ジョックロック」の原曲が、94年にヤマハが発表した新しいMIDI(DTM用音源)の規格「XGフォーマット」のデモ楽曲として制作されたもの
引用:mysound
実際にヤマハが所有する原曲がこちらです。
当時の智弁和歌山のブラスバンド部の顧問である吉本英樹先生が、何気なしにこの原曲を聴いた時に閃いたそうです。
何が原曲で、どこから魔曲が生まれるかわからないですね。
まとめ
ジョックロックを智弁和歌山以外が使うのはありなのか、またいつから魔曲と言われるようになったのか、原曲は何なのかについてまとめました。
ジョックロックは智弁和歌山以外の学校が使っても特に問題はないです。
また、智弁和歌山のジョックロックが魔曲と呼ばれるようになったのは、2000年頃からのようです。
そしてジョックロックの原曲はヤマハから出されているデモ楽曲ということがわかりました。
今年の甲子園でも、智弁和歌山は魔曲ジョックロックでまた伝説を作るかもしれませんね。